いわて盛岡シティマラソンまでの道標をしてくれた恩師
いわて盛岡シティマラソンから遡ること3年前その2。
そもそもマラソンをするきっかけになったのは、8月の健康診断で、素晴らしい結果票を目の当たりにしたからだ。
いわゆる良好と言われるA判定が2個程。
注意が必要、みたいなB判定が5割程。
要受診、みたいなC判定が残り程だった。
鼻が常に肉で詰まっている。
両手の甲には、行き場を失なった脂肪の出来物がブツブツと出来ている。
そういえば呼吸も荒い感じがする。
そんな状況にまで身体が肥えていた。
一念発起で、お盆休み明けから食事制限を開始した。夜ご飯の白米の量を2杯から1杯の半膳にして、野菜を多く摂ることが、まずは食事で制限したこと。
筋トレを始めることで、燃焼率を高めて体重を減らす、とアプリで筋トレメニューを取得して寝る前に始めたこと。
やはり、走ること。
両太ももが筋肉で一番大きいらしい。これを鍛えることで燃焼率は更にアップすると考えた。
ある程度身体が減らしたご飯量に慣れ始め、鍛え始めた筋トレにも慣れ始めた頃、走り始めた。
それが、前回紹介した2016年9月24日だったのではないかと、今になって振り返っている。
そんな時、職場が一緒であるFさんに、「走り始めたならマラソンの大会に出てみたら?」と言われた。
とてつもない衝撃を受けた。
走る事とマラソン大会に出ることを結び付かなかった考えが繋がった瞬間だった。
やったことのない個人競技。
数字で記録がはっきりと解る競技。
体育館やグラウンドを借りなくても、メンバー5人や11人集める事がなくても、目の前の道路へ飛び出せば練習が出来る競技。
こんな新鮮で、こんな衝撃的な事はなかった。
翌年の花巻イーハトーブハーフマラソン大会に初出場することになる。
その年の秋、秋田田沢湖マラソンでの初フルマラソンでは、その恩師からサイズが合わないと頂いた、ターサージール5を履いて挑んだ。
今振り返ると、恩師と大会当日のスタート直前まで行動を共にした時は、全て自己ベスト更新だ。
Fさんは僕の恩師だ。記録の差がどうとか、そういうのは、僕が恩師と思う上で本当にささいなこと。
今までも、そしてこれからも、Fさんは僕の恩師だ。
いわて盛岡シティマラソン2019の完走メダルを先日のマラソン忘年会でお見せすると、恩師は首からメダルをかけてくれた。
恩師は完走することが出来なかったから、僕から首にかけて欲しいとは言えなかった。
でも、恩師は首からメダルをかけてくれた。
一番メダルをかけてほしい人にかけることができた。
いわて盛岡シティマラソン大会1週間前に怪我で出られないかもと言っていた。3日前に、スタートラインには立つよと言っていた。
結果を見ると、30キロまで走っていた。
そんな恩師にかけてふさわしいメダルをかけてほしかった。
これからも僕は走り続けることが出来ると思った。
個人競技であるが、家族の理解と協力に、恩師に、周りの人達みんなに支えられて走ることが出来ている。それがマラソンなのだと、改めて実感した。
生きてきたようで生かされている、これと同じことなのだと思った。
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