マラソンを岩手からゆっくり伝えるブログ

マラソンに関するブログです

いわて盛岡シティマラソンから遡ること3年

2016年9月24日(土)、7.52kmを43分45秒で走った。


マラソンをする前のフットサルをしていた時代はこれより前だが、正確な数字では、上記の記録が最古の走りだ。


7.52km、43分45秒。

「ランニングマニア」というアプリで計算すると、5分49秒/kmだ。


2キロ目558(5分58秒)、以下551、558と記録されていた。


3年の時を経て、1キロ目545、2キロ目525、以下507、458……みたいなキロを踏んでいる。


単に1キロが速くなったということではなく、まだタイム差は広いけど、フカさなくなってきたとか、次第に上げてくるとか、1キロ目から突っ込まないとか。


3年前はフットサル選手としての練習で、現在はマラソン競技者としての練習に少なからずなってきたのかなと嬉しく思う。


それは、


スラムダンク単行本22巻

桜木が夏合宿の始めと今の合宿シュートを見比べた時の


心と身体が奮える瞬間と同じ。


今日も、朝陽を浴びた、いわて盛岡シティマラソンのゴール地点を遠くから眺めながら走る。

いわて盛岡シティマラソンというワードがメディアで久々に流れた

昨日25日、大会当日を生中継したテレビ岩手で、久々にいわて盛岡シティマラソンのニュースをしていた。


「走る家具屋」として有名な、Holzさんのニュースだ。走る家具屋ブログでの情報では、当初は12月初めに放送予定だったが、都合上の変更につぐ変更で昨日放送となったようだ。


楽しみにはしていたけど、放送されず半ば来年になるのでは、と諦めていた。


たまたまテレビを点けていた、その点けていたチャンネルがテレビ岩手だった、そしてその時間帯だった、という偶然の積み重ねによる必然で、生で観れ、すぐにリモコンの録画ボタンを力強く押した。


Holzさんから出る言葉、風景、どれも名残漂う。


これに向けて燃やしていた僕の気持ちも甦る。こと、如く。


来年の開催を公表されていないなか、いわて盛岡シティマラソンに魅了された一人として、どうか第二回を、2020年を開催してほしいと願わずにいられない。


スタートして盛岡一高のバンカラ、中央病院につながる十字路が交通規制になり、その沿道で応援する方々の何重に見える列、熱が伝わる声援。

恥ずかしがり屋な文化の岩手県人が、あんなに声を張り上げること。

遠慮気味に恥ずかしげに応援のタッチを伸ばすこと。

タッチした瞬間の、満面の笑み。


中央通の、大声援が建物に反響して、唸る街。


込み上げてくる感情が今も甦る。


故郷にマラソン大会がある喜び。

その大会に出場出来た喜び。

それを、これからも噛み締めて走り続けていきたいと思える喜び。


その喜びを完全に表現出来る場所は、いわて盛岡シティマラソンでしかない。


金沢マラソン、水戸漫遊マラソンと全国津々浦々、マラソン大会時期が重なるとしても、ぜひ開催を願わずにいられない。

マラソンを岩手からゆっくり伝えるブログ

今生で栄えているYoutuberなる人達におけるマラソン動画を貪り尽くすに、皆様学生時代に走られていたのか理由は確定出来ずも。


私なる平民にはその者共の成長ぶりに全く追い付く気力と知力がなく、ただただ画面の前でため息するばかりなのです。


それはブログでも傾向はそちら寄りで。

「あれ?1kmタイム同じだぞ?」と好感を持って見続けたその先には、絶望の、僅かであろうが大差であろうが詰められない隙間。


つまり、僕にはリアルではないわけで。

あまつさえ、僕も同じようにやれば同じ景色を観れる、と、モチベーションという名の妄想を抱き、岩手の風に吹かれながら現実を突きつけられる。


つまりは等身大を書きます。


ここのブログからマラソンを、岩手県のマラソンを伝えていけたらと思います。


学生時代に走った事といえば、野球のスポ少や中学野球部で走らされ、高校のサッカークラブで走らされた感覚。


社会人になり走った事といえば、サッカーやフットサルのために、その時の自分が、自分の一杯で夢のために走っていた事。


時を経て。


イーハトーブ花巻ハーフマラソン2017の初ハーフマラソンが、僕のスタートライン。


令和元年という節目に初開催となった、故郷である、いわて盛岡シティマラソン2019。


初サブ3.5を達成し、これからサブ3を目指す人間の、なんの変鉄もないブログです。